金沢屋 札幌北店
北海道札幌市北区あいの里 2018年11月開業 インタビュー時期:2019年5月
前職は何をされていたんですか?
食肉卸の会社にいて、肉の解体とかそういう職人らしい仕事をしていました。現場ですね。だから営業に出たこともないし、電話の1本取った事もなくて、最初は本当にお客様と直接接するということが不安でした。「電話鳴ったら怖いな」みたいな感じだったんです(笑) 今となっては少し克服してきたかな? 当時は、本当に包丁しか持ってなかったようなものですから。
元々、独立志向だったのでしょうか?
いや、大学終わって就職して、最初は「一生ここの会社にいるんだな」と思っていました。その会社で10年ぐらい働いたんですけど、徐々に「これ以上やっていられない」という気持ちになってきて。休憩時間も休日も無く働いていて、体重も今は70キロ近くありますけど、その当時は52キロでした。20キロくらい違いますね(笑) それくらい追い込んでやっていたし、自分はそれでも別に良いと思っていたんです。
ただ、お給料は持ってきていたけど、家族との時間が無さすぎて、それが喧嘩になる原因だったりもしたんです。朝4時台には家を出て、帰って来るのが夜中の2~3時とかでしたし、休みの日でもやり残している仕事があるから行かなきゃいけないだとか……そんな風にしていたら、辞める2カ月前は全く休みが無い状態で「これはさすがにちょっとマズイな」と……。腰も痛くなってましたしね。立ちっぱなしですから。
体力的にもハードな仕事で、何トンという荷物を一日中持たなきゃいけないんです。下から入ってきた人間も体力的に厳しくて辞めていってしまうので、いつまで経っても自分が下っ端なんですよ。技術的な仕事というよりも力仕事が多かったんで、このままでは大した技術も身につかないし「ちょっとまずいな、人生……」と、思い切って辞める決断をしたんです。
金沢屋を知ったのは、その後ですか?
肉屋を辞めたあとは、自動車の部品を作っている会社に就職しました。サラリーマンにこだわっていたし、人として会社勤めをしないといけないような気がしてたので。ただ、その会社では営業職で採用していただくことになったんです。今まで技術職をやっていた人間なんですけど、なぜか。
でも、それこそ30歳過ぎて電話の1本も取ったことのない人間が、いきなり会社で営業をやれと言われても、さすがにちょっと無理だったので、2カ月で辞めたのかな……
その時父親に言われたのが「お前はもう会社員じゃなくて、1人でやっていくというのもひとつの手じゃないの?」と言われ、ポンと背中を押されたんです。それでいろいろ調べているうちに、インターネットで金沢屋を知りました。
それで独立について考えるようになったんですけど、最初は飲食業を考えていました。僕はどちらかというと食べる事が好きで肉屋に入ったぐらいですし、札幌でも有名なフレンチやイタリアンに肉を卸していたので、普段から和牛とか良い素材を食べていたから、それを活かして飲食に繋がるような仕事をしたいと考えたんですよね。
だけど調べてみると、独立するのにお金がすごい必要だと分かって……9割ぐらいの店舗が3年以内に潰れるというデータが世の中にあると知りました。料理はたしかに好きだけどプロではないから、そんな人間が飲食店をやっても駄目だなと思って、違う事を探していた時に、金沢屋を見つけました。
「初期投資がそんなにかからなくて、在庫も持たなくて良い」という風に書いてあったので興味を持って、それで2016年9月ぐらいに話を聞きに行ったんですよ。札幌で説明会をやるということだったので。
説明会から開業までに不安はありませんでしたか?
話を聞いても正直、「騙されたらどうしよう……」とか不安で仕方なかったですよ。
先輩オーナーに「実際どうなんですか?」とお話を聞きに行ったりして、少しずつ不安な気持ちを取り除いていきました。説明会も一度では決められずに9月と翌年1月と二回行きました。その後、腹を括って「やってみようか」と4月からスタートしたんです。最後は「いっちゃえ!」ってという勢いだったんですけどね(笑) 当時は会社も辞めて無職だったので。やりたい気持ちも大きかったんですが不安も大きかったですね。
開業当初の様子はどうでしたか?
2017年4月にスタートして、まずはじめにチラシを撒くためにチラシの印刷を発注するわけじゃないですか。正直「本当にこんなので電話がかかってくるのか?」と思っていましたね(笑)普通は、襖・障子・網戸の3点セットのチラシを撒くんでしょうけど、この地域だと網戸の方が出るんじゃないかとSV(スーパーバイザー)と話をして、僕は最初から網戸メインの内容でチラシを撒くことにしたんです。今でもこのデザインで配っているんですけど、初日に13件も電話がかかってきたんです。オープン時間を9時からに設定したら、9時からもう電話が鳴って、置いたらまた電話が鳴るという状況が1時間位続いて……。3日間手伝ってくれる本部のSV(スーパーバイザー)が現れたんですよ。「この電話取って大丈夫なんですか?」「大丈夫ですよ、丁寧に電話を受けて、どんどんお約束をとりつけて下さい。」というアドバイスを受けたりして。それから10時30分ぐらいまでは電話が鳴りっぱなしでしたね。これだけ凄いのかと驚きました。
それで1軒目か2軒目のお客様のところで、襖二部屋と網戸の依頼を頂いて、単価が13万くらいになったんです。一度でですよ。その時にちょっと「この仕事って簡単!」と思っちゃったんですよね(笑) 一回チラシを出すだけで十何件も電話が来て、一人のお客様で十何万となって……。もちろん、波があるんですけど、ただ、出だしの手応えとしてはイメージしていたよりもかなり良かったです。
結局、その襖の依頼は納期が5月になったので、4月の売上は本当に網戸だけになりました。網戸で88枚とかかな?
初月に88枚ですか。その後も順調に推移しましたか?
開業初月は反響が良くて件数も多かったんですけど、網戸だけだったので売上は飛びぬけて、ということはなかったです。大きな襖の依頼が5月にずれたのもあるので。でも、そのおかげで5月は売上80万円になりました。
そこから、とりあえず売上でいうと100万円を目標にして働いたら、7月に初めて100万超えて。「あぁ、やっぱりやって良かったな」って思いましたね。でも8月には売上は下がってしまったんですけど。
8月が悪いっていうのはお盆前だというのがあったんだと思ってますけど、お盆前にチラシを入れても駄目なんですね(笑) 1年目は手探り状態だったので分からなくて。だから2年目を迎えた時には、1年目の失敗をどうにか上手い具合にやろうと工夫したんですよね。
例えば、毎月1度に3万枚のチラシを撒くんじゃなくて、4週に分けて撒いたり。反響がある日と無い日が出てくるけど、毎週仕事が来るようにしたらいいかなって、2年目のスタート時からそれをやり始めました。
チラシを配る時期も、冬場の時期の対策も、1年目の経験を参考にしながら2年目にはクリアして。そうすると2年目は、1年目に比べて200万円ぐらい売上は上がりました。そして3年目の今年は、リピーターのお客様がものすごく増えました。1~2年前に仕事をさせてもらったお客様から、毎日1人や2人連絡が来るような状況になったんです。
順調だと感じますが、何か意識していることはありますか?
お礼状を書いたりだとか、メニューを書いたプロフィールシートを渡したりすれば、また連絡が来やすいってよく聞くんですけど、僕はそういったことを何もしてないんです。僕はあえてチラシに自分の顔も載せないし、それすらも会話の一つにするし、いろんなことを駆使してお客様とコミュニケーションを取るようにしています。よく考えたら若い頃から60~70代くらいの方と話をするのが好きだったんですよね。
なぜ3年目になって毎日のようにリピーターさんから電話がかかってくる状況を作れたかというと、お客様に接するときに圧倒的なインパクトを残すことを重視しているから。僕は人と人との繋がりってプロフィールシートだとかの紙だけじゃなくてコミュニケーションだと思っているんですよね。
お客様とは「人として仲良くなろう」という意識をとても重視していて、お客様がおばあちゃんだったら孫のように思ってもらえる接し方をしますし、男の人だったら「お父さん」って呼ぶようにしたり。「お父さん、これ綺麗になったよね?」みたいな感じで、本当に身近にいる人と会話をするように話すことを心掛けているんです。なにも、特段丁寧な言葉を使うことが人との距離を近づけるわけじゃないですから。
あとは、夏場だと網戸や障子は基本的にその日のうちに持って行くようにしています。そうすると、「お友達から聞いたんだけど、あなたの所に頼むとパパッと持ってきてくれると聞いて」とか「お兄ちゃん早くやってくれるね」って言われるようになるんです。そうすると、お客様がご近所さんや友達に紹介してくれて、連絡が来ることがありますから。
そして絶対に笑顔を絶やさないことですね。
技術的な面で何か工夫されている事はありますか?
やっぱり仕事を始めたばかりの時だと分からないことが多くて……。網戸なんて触った事も無かったですし、1週間の研修では網羅しきれない部分もあるので、1年目の頃は毎日のように本部に電話していました。それも2時間おきとか。
技術の話もそうなんですけど、結局は人とのつながりなんですよね。素人の状態から始めることなので、どうしても教えていただく立場だと思いますから。部品だって、網戸のネットの知識だって、地域によって必要な種類は違うと思いますし、そういう北海道での知識をサッシ屋さんから色々教えてもらいました。結局、業者さんに対しても、どれだけ仲良くなれるかが勝負なのかなと私は思っていますね。
地域性や北海道ならではの苦労はありますか?
冬場はほとんど依頼が無くなること。北海道はやっぱり雪があるから車を停められなくなったりするんですよ。家に停めたとしても通行の邪魔になっちゃうので仕事自体が難しくなりますね。雪で商品を汚してしまうという事もありますから。
これは僕らだけじゃなくて北海道の産業全体がそうなんです。それこそ、冬の時期に本州に出稼ぎに行ったりとか、地元で排雪や除雪をしたりする人もいますよ。今年はちょっと暑かったので良かったんですけど……逆に忙しくて大変でしたね(笑)
そういう土地だから僕は在庫の買い方を工夫しているんです。今では年間で必要な大体の在庫も分かってきましたから、お金がある時期に先に在庫を買っておくようにしたんです。
本州では発注したら当日に届くような部品が、北海道だと4~5日はかかる。沖縄と北海道は送料も高いじゃないですか。その辺は我々遠方地域は不利になるんですけど、とはいえ売上が下がる時期に在庫を抱えていたらまずいわけです。
そうやって事前に計算して、手元にある在庫を売っていく……という方針に今は変えました。そうすることでお客様も待たせずに作業できるので効率が良くなりますから。
坂口オーナーは、依頼が減ってしまう11月~2月の冬の間どうされているんですか?
妻が働いているので、僕は主夫業をしています。下の子は今保育園に通わせているので、子どもの送り迎えだとか。今年の1月は子どもをスキー場に連れて行きましたね。北海道では1年生になるとスキーの授業があるので、練習のために近くの山に滑りに行ったりしてますね。
仕事に関しては、「ジタバタしても無理な時は無理だしなぁ」と思っているので、僕は半年働いて半年休むくらいのイメージで割り切ってやっています。忙しい時期は帰れないくらい忙しいし、そうじゃないときは家族の時間を大事にしています。
今、金沢屋のお仕事で感じている課題はありますか?
他のオーナーさんもそうなのかも知れませんが、僕は一人で働いている身で、外注はほとんどしないんです。1人で稼げる限界点って200万円ぐらいだと聞いていて、今年はその域に達してきているんですよね。150万円以上の売上を1人で作る状態が続くと、正直ほとんど家にも帰れない状況になるんですよ。
本来なら、夜8時位に家に帰って、家族との時間を過ごして……というのがあるべき形だと思うので、今後はなにか手を考えなければいけないと思っています。ただ、同じ忙しいにしても、肉屋さんで働いていた時とはモチベーションが全然違いますけどね。
これからはリフォームも始めていかなきゃいけないなとも思いますし、従業員を雇う段階に達しているんじゃないかとも思っています。売上をもっと増やすんだったら、次の手を考えていく必要がありますから。
今後の目標を聞かせてください。
当初からの目標でもあるんですが、細々と長くやりたいというのがまず一つ。
40歳くらいまでは、どちらかというと技術的な事を積み上げていきたいんですよ。人間だから年を取れば動けなくなります。その時までに、しっかりと使える技術を身に着けていけたら良いなと思ってるんです。
今は、30代なのでお客様の息子や孫世代にあたるので、可愛がってもらえてると思っているんです。だけど、50代60代になったらそうはいかないなと。要は、その年齢になる頃に上手く行ったら良くて、今は勉強だと思っていますから。40歳ぐらいまではそんな感じですよ。お客様に顔を売っていけば良いと思っています。
40~50歳くらいの間には、少しずつ自分自身で作業をしないようになっていくイメージがあって、それが従業員を雇うということなのか、エリアを拡大しはじめようとするのか……とか手段はいろいろありますよね。今3年目になりますが、成長していると感じていますし着実に売上も上がっているので、最近そういう夢が見られるようになってきました。
今は下準備の時期として、何も最初からやる必要は無いし、時間をかけてゆっくりと土台を作っていこうと思っています。